ある会社で面接を受けたとき、「塾で働いてました」と言ったら
「また〜〜〜〜〜〜????」
と顔をしかめられたことがあります。
何????
おはようございます。
東京下町・都電沿線にある学習塾で講師を勤めている者です。
面接官曰く、
「今日面接した4人のうち、全員が元塾講師だと言ってきた。なのでいい加減飽きた」とのこと。
知らんわ。
というのが本音でしたが、「あ、そうなんですか笑」と返しました。面接は面接官と仲良くしたら勝ちですからね。できるだけ印象は良くしないといけません。落ちました。
思っている以上に多いんですよね、塾講師。
塾講師には教員免許みたいなものがありません。
筆記試験や面接などはあるかもですが、塾講師をやろうという気概を持った人間なら、まず落ちないでしょう。
誤解を恐れずに言えば、誰でもなれちゃうわけです。
つまり、塾に入れば林修先生が必ず待っているわけではありません。
こういうこと言っていいのか分かりませんが、割と「運試し」じゃないですか? これ。
だって良い先生に当たれば”良い”し、悪い先生に当たれば”悪い”でしょう。
僕の友人にも、他の塾で講師をやっている者が多々います。
「同期のやつと飲みに行ったんだけどさ……。そいつ、講師は”割とテキトーにできるから”楽だって言ってきたんだよね。だからそいつ、生徒が寝てても起こさねぇの。どう思う?」
って不満気に話してくる友人もいました。
塾講師に“良い”と”悪い”があるならば、当然自分は”良い”側でいたいと切に思います。
でも東大生並の知識があるのかと訊かれたら首を横にしますし、
松丸亮吾並の閃きがあるのかと訊かれても顔を真っ赤にして俯きます。
自分が本当に”良い”のかなんて、究極のところ分からないんですよね。
「つもり」になっちゃってるだけかもしれませんし。
ならばこそ何を目指すべきなのか。
すなわち生徒に何を提供すべきなのか。
逆に言えば、将来僕が結婚して子供が生まれて小学生になってこりゃあ塾に通わせんといかんとなったとき、何を塾に求めるべきなのか。
的なことを考えているんです。最近。
山登りしていたら霧がかかってきて、今何合目にいるか分からない。
しかし頂上の方角だけは知っておかなければならない。
僕的最先端の答えは「環境」です。
講師として勤めてみてようやく気がついたのですが、学習塾ほど勉強に適した「環境」はありません。学校や図書館なんか屁でもないと思います。
よく「英語を覚えたいならアメリカに住むことだ」なんて言いますが、それの勉強バージョンが塾じゃないでしょうか。
きっと講師として生徒に提供すべきものも、「環境」なのかなぁと最近思っています。知識なら図書館に行けばいいし、答え合わせなら自分で出来ますしね。
生徒が通いやすく質問しやすく、そして勉強に全力で親しめる。やる気を全力でサポートできる。
そういった「環境」をより良くしていこうと考えれば、きっと”良い”側に近づける……はず。
ちなみに僕が講師になるとき、ブラボー先生との面接で言われたのは
「ティーチングではなくコーチングをして下さい」
でした。最初から正解を言われているようなもんですね。
やがて「環境」から抜けても、家で、学校で、そして将来的に成長していってくれたなら、講師としては幸甚の至りです。(こういうビジネス的な言葉、覚えたてなので使いたい)
……以上のような「塾とか講師って何のためにいるんだろう?」
的な思考は、この記事を読みながら考えました。ハッとしますよ。
あと全然関係ないですけど、この記事が好きです。
日本語って曖昧で複雑だからこそ、その字面によって自分すら騙してしまうときとかありますよね。
僕はこの記事を読んで、明石家さんまさんがMBSラジオで「努力という言葉を日本の辞書から無くした方がいい」と発言していたのを思い出しました。